
short story 雅火
破壊のドラゴン
人間誰しも、胸の内に抑圧した感情や欲望を抱いている。
種類や程度に差はあれど、社会という枠組みの中で生きる以上は当然だ。
すべてを曝け出して生きていけるほど、世間は甘くない。
――だが、現実でないとしたらどうだろうか?
人間の五感を限りなく忠実に再現した『現実のようなVR空間』。ここでは、現実世界では味わえない『リアル』なエンタメを体感できる――まさに世間一般から切り離された箱庭。
今回もまた、健全で欲深な、好奇心に塗れた人間たちが足を踏み入れる。
「へえ、滑り出し順調じゃん。過去最高の参加人数になるんじゃないか?」
「肝心なのは人数より質だが……それより琥珀、挙動確認は終わったのか?」
モニターから目を離さずに告げれば、不満そうな頷きが返ってくる。
候補者への最終的な同意確認を終えたあと、自室に入った者から順に見習い天使との適合検査に進む。適合する者と、しない者――正確には適合率が規定値に達しない者。それぞれに振り分けられていく様子を、俺はモニターに映るレポートを通して確認していた。
(数名の不適合は出ているが……)
おおむね予想通りに進行している。不適合となった者は『参加資格なし』としてログアウトさせつつ、琥珀の報告に意識を向けた。
「――……で、今はこんなとこか。修正済みだから第1ステージは予定通り始められるぞ」
「そうか。他に問題は?」
「はあ? 大アリだよ。ったく、こんなギリギリに仕事ねじ込みやがって……」
「処理能力の範囲内で指示を出してる。支障はないだろ」
「ケッ。はいはい、雅火様の仰る通り」
ゲーム進行に影響が出ないようベースの環境は整えているが、リアルタイムで細々とした修正や確認は発生する。さっきも緊急で舞い込んできたタスクを、手の空いていた琥珀に振ったところだった。
「――ま、たしかに暇なんだけどさ。順番待ちの時間も長いし」
琥珀の視線の先には、モニターに映る涼乃環無の姿がある。参加者が待機しているラウンジで次々に名前が呼ばれていく中……順番が最後の涼乃は、やや心もとない表情で周囲を見ていた。
「なあ、雅火。なんであいつらを参加させたんだよ」
「……永守と涼乃の件なら、全員に通達したはずだが」
涼乃環無を担当する見習い天使――琥珀はどこか釈然としない顔で言った。
「事前のシミュレーションで適合率が高かったんだろ。だからって……あの女のこと俺も調べてみたけど、変わったところなんてなかったぞ。なんつーか、能天気でアホそうってだけで」
「思想が特別偏っているわけでも、卓越した能力があるわけでもない。その評価は俺も同じだ」
「ジェネの投稿のほとんどは推しのことだし、徹夜で作業してぶっ倒れて『もう二度としない……』って呟いたくせに、また同じことしてた」
「学習しないタイプか。俺は徹夜しても倒れるようなヘマはしない。自分の限界くらいは把握してるからな」
「……絶対はないだろ。よく本に夢中になって『キリがいいとこまで』とか言って寝落ちしてるじゃん。もし体力を見誤ってぶっ倒れたら、雅火も後悔するのか?」
「いや? 多少タイムロスをしても仕事が回るように手は打ってある。どれだけ計算したところで想定外は起こるものだ。改善はするだろうが、後悔はしないな」
「うーわ……やっぱ可愛げってもんがない……。涼乃環無みたいに後悔しながら失敗を繰り返すほうが、人間味があるっていうか」
そんな変哲もない人間を、なぜこれまでのルールを捻じ曲げてまで参加させるのか。言外にそう問われているのは分かっていた。だが運用に支障がなければ、説明した以上の理屈を聞かせる義理もない。
『――涼乃環無様、こちらへお越しください』
黒服の声が響き、琥珀が渋々といった様子で持ち場に戻っていく。俺は画面越しの涼乃へと視線を向けた。
イレギュラーな参加者である、永守藍と涼乃環無……このふたりだけは事前の同意を得ずに強制的にログインさせた。琥珀が疑問を抱くのは、自律的な思考を持つAIとして自然な反応だ。
(俺も知りたい。こいつらがどんな可能性を秘めているのか……イレギュラーを許すほどの見返りがあるのか)
持ち込んだ異分子がこの世界にどう作用するかは未知数だ。『想定外』が起こる可能性を知りながら受け入れたのだから、それが吉であれ凶であれ、ゲームを続けることに変わりはない。
……そしてあのふたりも、今ここで参加すると自らの意思で決めた以上、『ただの巻き込まれた人間』ではいられなくなった。
金目当てでも、好奇心でも構わない。奴らに参加する目的があるなら、他の参加者と同様に扱うだけだ。そう結論を出した――直後。琥珀から届いた『涼乃環無と永守藍が辞退を希望している』という報告に、俺は次の手を考えることになる。
涼乃環無はどうやら、永守藍を探して仮想空間の中をあちこち駆け回っていたらしい。
エントランスで遭遇した涼乃を、俺は迷わず運営にスカウトした。
「……そんなのいらない。私はただ帰りたいだけ。普通に平和に生きたいの」
勢いで参加してみようと思ったものの、いざ手続きを踏むと怖気づいて辞退したいと言い出す……そんなタイプだろうと思っていたが、実際に話してみれば涼乃環無は怯えているわけでもない。
リスクを察知して引き返そうとする冷静さ。こちらが報酬を提示しても、がんとして姿勢を変えないところに微かな興味を抱いたものの――
(べつに特筆するほどでもない。こういうタイプも一定数はいる)
そこら辺を歩いている人間と同じ、他の参加者と本質的には変わらない。
ひとまず永守をダシにして頷かせたところで踵を返すと、涼乃に切羽詰まった声で引き留められる。
(文句か、泣き喚くか……食い下がったところで、痛い目を見るのはあんただが)
そんなことも分からないのかと、俺はその時、冷めた心地で返す言葉を考えていた。
「……あなたのこと、なんて呼べばいい?」
「…………は?」
投げられた質問に、不覚にも言葉が出なかった。
怪しいゲームに関わる不安も、友人の行方がわからない心細さもあるはずだが――なぜかこの状況で、不審な相手の呼び名を尋ねた。いや、意味がわからん。もっと他に聞くべきことがあるだろう。
「好きに呼んだらいい。……こんなものに大した意味はないだろ」
そう言い捨てて、さっさとその場を離れる。
背を向ける直前に見えた間抜け面に、どうしてかわずかな苛立ちを覚えた。
(……名前なんて)
所詮、人から与えられたものだ。誰しも名付けられたときの記憶はなく、そこに自分の意思なんてものはない。だというのに、名前ひとつで勝手に、自分の存在が世界に定義される。
(ただの記号だ。俺を形作るものじゃない)
真っ直ぐに向けられた、やけに強い瞳が脳裏に残った。
……そう、強い意志。俺には掴みたいものがある。
心に生まれた小さなざわめきが、やがて凪いでいく。
果たす目的のために、再び俺は自分のすべきことに没頭していった。
To Be Continued...









