
short story 宗像 戒
自己犠牲のペガサス
――見間違うわけがなかった。
「……ああ、失礼しました。涼乃様と永守様は飛び入りでのご参加でしたね」
ゲームの案内人を称する『黒服』がそう口にするより早く、一目で彼女だと認識していた。
凛とした立ち姿、その声、戸惑いながらも前を向く瞳。どれも少し前まで間近に感じていた――『涼乃環無』だけが持っているもの。
まともに触れることさえ叶わなかった、1週間付き合って別れたばかりの彼女が……そこにいた。
「ゲームってなに? ルールとか同意とか、そもそも、ここどこ――」
仮想の世界『アンロジカル』へのログイン直後、一方的に話を進める『黒服』に異を唱えた彼女は、困惑を露わにしていた。
(環無……どうしてここに?)
彼女と付き合って、夢のような1週間を過ごしたからこそ、俺はこの世界に来ることを決意したのに。きっかけとなった存在が目の前にいる状況に、思考は混乱するばかりだった。
「真珠、どういうこと? 説明して」
「うるせえな。俺に聞かれても知るかよ」
「知らないわけない。見習い天使は事前に参加者の素性を把握してるはずだ」
「チッ……マジで俺だって想定外なんだよ。雅火が……いや、その『上』の意向で、涼乃と永守を急遽、本人たちの同意もなく参加させたらしい」
「どうして……」
世間から秘匿されたこのゲームは、倫理的な問題はあるが運営のスタンスは基本的に一貫している。『同意のない人間を参加させることはない』。高額な報酬金、身体への影響、その他ゲーム進行によって起こり得る不具合、すべてを飲みこんだ人間しか参加できないからこそ、アングラな場として成り立っていたはずだ。
(なのに、よりによって環無が……)
真珠が嘘をついてる様子はないし、俺を欺く理由も思いつかないから事実なんだろう。運営は俺との関係性を知った上で選んだのか、はたまた本当に偶然なのか――……この世界のシステムを把握しているAIが『想定外』だと言うことを、俺が知る由もない。
「縁は切れた相手なんだし、おまえがこの世界でやることは変わらないだろ」
「……環無と藍がいるなら、話は変わってくる」
「なにが変わるんだよ。まさか『やり直せるかも』とか考えてるのか? バカだなあ、戒。あんな別れ方をした奴をもう一度信用できる女がどこにいる?」
「……わかってるよ」
真珠の言葉ひとつひとつが、毒のように身体に染みわたっていく。でも彼の言っていることは的外れでもない。正論だからこそ耳を塞ぎたくなった。
「人間は――信用を積み重ねることで関係を築く」
「……真珠?」
「初対面の相手を無条件に信じる奴はいない。裏があるのかも、この優しさは偽りかもと疑心暗鬼に囚われ、期待しては裏切られ――その繰り返し。俺のことだって最初は信じられなかっただろ? だが『自分を理解してくれている』という安心があれば、それなりに錯覚はできる。おまえは涼乃環無のなにを知って、そこまで入れ込んでるんだ?」
「……彼女のことを全部知った気にはなってないよ」
「そう、おまえは涼乃環無を知らないし、涼乃環無もおまえをたいして理解してない。そりゃそうだ、たった1週間だからな」
どうして環無のことが頭から離れないのか。こんな場所での再会を喜ぶべきじゃないのに、どうして心の奥底では淡い期待を抱いてしまうのか。
傍から見れば、たった1週間。真珠の言う通り、他人に心を預けるには短すぎる時間だ。それでも俺にとっては、23年という年月で言葉を交わした誰よりも――感情を揺さぶられて、眩しくて、奇跡のように感じる時間だったから。
『戒くんって、誤解されやすくない?』
付き合っていたとき、そう問われたことがある。彼女とは直接会うだけじゃなくチャットや通話でも会話を重ねた。
『見た目で圧があるのは自覚してるよ。話してみたら違った、って言われることも多い』
『ごめんだけど、私も。最初はもうちょっと怖い人かと思った』
『怖がらせちゃったよね』
『全然。すぐに優しいひとなんだなってわかったし……話したら誤解も解けるんじゃないかな』
『でも、俺は……逆に距離を取ってもらえるほうがありがたいんだ』
『そうなの? あまり人と関わりたくないってこと?』
『……うん。できれば』
『モテそうだもんね。ほんとにマメだし優しいから……勘違いする女の子は多そう』
『気を付けてはいるんだけど、まあトラブルもあるかな……』
『でも、人と関わりたくないのに私と付き合うのはアリなんだ』
『……君だけだよ。こんなに近づきたいって思ったの』
率直な想いを告げれば、彼女は少し目を見開いて、それから気恥ずかしそうに笑った。
『よくわかんないけど、ありがと』
まっすぐで、穢れない瞳。独り占めしたいと願ったのが罪だったのか、俺がもっとわきまえていれば、傷つけずにすんだのにと思う。
「――忘れろよ、戒。おまえが無駄な未練を抱えたところで、傷つけるだけだろ?」
目を開けば、温かな思い出はすぐに霧散して、残酷な現実が視界に広がっていた。
「……そうだね」
そう、本当に傷つける前に離れることができたのは、幸いだったのかもしれない。
彼女が俺に気付くのも時間の問題だと覚悟していたけど、再会のタイミングはすぐにやってきた。適合検査や同意手続きを終えた後、プレイルームで彼女と顔を合わせる。
気まずい空気の中で言葉を交わしたものの……俺はとんでもなく下手な言葉選びをした。
「……戒くん、私のことべつに好きじゃなかったんだ?」
案の定、彼女が眉をしかめて俺を見る。不信感を抱かれるのも当然だ。
(……この気持ちが恋心だとして。君にとっていいものとは限らない)
俺にとっては劇的な出会いで、強烈な記憶として残っている。だからもしかして俺の中で理想の『涼乃環無』を創り上げてしまってるんじゃないかとも思っていた。けれど今、目の前で喋る姿は、あの日焦がれた彼女と寸分変わらなくて。
「俺のことはもう忘れて。……ごめん、君の幸せを願ってる」
これ以上は関わってはいけないと強く思った。過ちだった、事故だった。そうして彼女に忘れ去られるくらいが、俺みたいなのにはちょうどいい。
今度こそわきまえていたはずなのに。その後、アンロジカルのせいで俺は知ることになる。
それまで抱いていた憧憬とは違う、彼女に向ける恋心――それを超えた、執心を。
自覚したのは、自分でも思いもよらない瞬間だった。
To Be Continued...







