short story01 矢代
『飄々たるエトランゼ』
作:かずら林檎
見慣れた街並み。
風に流れる蒸気と回る歯車、延々続く蒼穹。
よく知る景色の中で彼——矢代の存在だけ、真新しい。
「やあ、姫様。今日もかわいいね」
中街でばったり出くわした彼は、わたしを見つめてにっこりと笑った。
平然と『かわいい』なんて言ってくるから、わたしは彼と話すたび、いつもちょっと困っちゃう。
「……ありがとう?」
「——そこでお礼を言うんだ? 姫様って……」
「なに?」
「かわいい。黙っていてもかわいいけど、喋るともっとかわいい」
「……そ、そっか……?」
屈託のない顔で笑われると、すごく反応に困る。
(『お綺麗になられましたね』なんてお世辞だったら、たまに言われるけど……)
矢代のは、そういうのとも少し違う。
かわいいかわいいと連呼されて、気を抜けば変な顔になりそう。
(もしかして、わざと!? わたしのこと、からかって——……ううん)
彼はいつも穏やかで優しい青年だし。遊ばれているわけじゃない、と思う。
(ただ……。ちょっと軽い? っていうか)
まるで自分の言葉に価値なんてないかのように、いいことも悪いことも簡単に言ってのける。
飄々としていて。
不思議で、掴みどころのない人。
「どうしたの、姫様? ……ここの皺、すごいね?」
矢代は首を傾げると、無造作に手を伸ばしてきた。
あれこれ思い悩んでいたわたしの眉間に、いつの間にか、ぎゅっと力が入っていたみたいだった。
「だ、だめ。そういうの」
皺を伸ばすように人差し指で眉間を撫でられ、わたしは慌ててその手を避けた。
「あ、ごめん。街中で貴族の姫様に触るなんて——」
「そ、そうじゃなくて」
頬が徐々に火照ってくるのを自覚しながら、わたしはらしくもなく小さな声で言う。
「……照れる、から」
「…………」
矢代は急に沈黙する。
どうしたのかなと思って上目遣いに窺うと——
何が楽しいのか、にこにこしていた。
(わ、わたしばっかり照れてる……!!)
なんだか悔しくて、冷静にならなくちゃ、と深呼吸して気を取り直す。
「矢代は何してたところなの?」
「半月堂のおつかいをしてきたんだ。修理が終わったカラクリを貴族の家に届けてきた」
「ひとりで? 迷子にならなかった?」
「ちょっと迷ったけど、なんとかなったよ。最後は人に聞いたりして」
「そっか」
話し始めると普通に喋れる。
知り合って間もないけど、矢代は最初から取っつきやすいというか、話しやすい相手だった。
身分なんて関係なく、友人がひとり増えたように感じている。
「……もうちょっとお手柔らかに、ってわたしから露草に言おうか?」
「いやいや、大丈夫だよ。彼には本当によくしてもらっている」
矢代は笑みを絶やさない。
記憶を失って大変だろうに、彼は弱音さえ吐かない。
(でも……。もしかしたら見えないところですごく悩んだり、不安になったりしてるのかも)
もし、そうだとしたら助けてあげられるといいんだけど。
「姫様の予定は?」
「わたし? 用事は済んだし、あとはもう帰るだけ」
日が暮れる前に戻らないと、わたしの過保護な従者が心配する。
「じゃあ、お屋敷まで送らせて」
「え! そんな、悪いよ」
わたしは街を歩くのが好き。
貴族なのにって言われることもあるけど、今日だってひとりで出てきたし、送ってもらわなくてもちゃんと帰れる。
「遠慮しないでほしいな。ほら、特に今は『あんなこと』があったばかりだろう?」
「あ……」
——確かに。
矢代と出会った、あの日に起きた『出来事』は衝撃的だった。
脳裏に焼きついた鮮烈な記憶が蘇りかけて、わたしは目を伏せる。
「俺は姫様に拾ってもらった恩がある。姫様を送るくらい苦じゃないし、君のために何かさせてもらえるのはうれしい」
「……ほんとに?」
爽やかに微笑まれて、逆に疑いたくなる。
「本心のつもりだけど……。俺、おかしなことを言っているかな?」
矢代は困ったように眉を下げた。
いつもよりちょっと隙のある表情が、なんだかいいな、と思う。
「……ううん。ありがと。じゃあ、送ってもらおうかな」
「! 任せて」
淡雪とも露草とも違う。
矢代みたいな人は、今まで身近にいなかった。
彼との出会いによって、わたしの日常は少し、変わった気がする。
東に向かうわたしたちの背中を——
あの日と同じ、目も眩むほど鮮やかな、秋の夕陽が照らしていた。
【B's-LOG3月号(2023年1月20日発売)掲載】